下宿レス大学生だった
それは留学に向けて、最後の荷づくりに取り掛かっているころだった。
切りのいいいところでスマホをいじくっていたら大学からメールが一通届いていた。
なんだろう、またコロナ対策による留学の延期の知らせだろうか、
胸に抱いたどことなく嫌な予感(それまでに中国に行く留学組が中止の連絡を受けていた、韓国でもコロナ感染者が急速に増えつつあった)をガン無視してメールを開いた。
嫌な予感というものは当たってほしくない時ほど当たる。
春学期間の留学生の受け入れは全面中止、留学予定者は国内での学習とします、
みたいな内容のメールだった。
実は韓国の釜山にある大学に2月の後半から留学予定だったのだが、コロナ対策を行うため、3月の初旬に延期になっていたのだ。
そのため、九州にある実家には帰らずに、京都の下宿を引き払う期間を延ばしていた
その矢先、引っ越し三日前であった。
おいおいまじかよ、もう引っ越し、てか、下宿の契約切っちゃったよ、え、っ待って留学行けないってことは、30万円分の奨学金もらえないんだよな、え?まじ?お金もらえるって聞いたから勉強してきたのになぁ
いろんな考えが頭を駆け巡った。
わたしの頭は頑張ってくれたみたいで、まずは親に報告の電話をしろ!と電気信号を送ってくれた。
ありがとうマイブレイン愛してるぜベイビー
そのあとに一番の問題となるのは、四月から京都に寝泊まりする場所がないということだ。
夏ならまだぎりぎり野宿で行けるかもしれないが、京都の春は寒すぎるし危ない。
大学側にこの現状は伝えなきゃな、と思って事務室に電話をかけた。
現段階では何とも言えないが、ほかの学生の声も聞いてから下宿の確保の手助けを検討したいとの回答だった。
とりあえずマテリアル的問題でやれることはそこまでである。あとは、メンタルの事故処理の問題。
コロナウイルスの影響でホームレス大学生になりました
— もっちー (@hitorimochi1) 2020年2月25日
マジで今から下宿探すのツラすぎる
てか明後日から九州に帰るんですけどマジ下宿無いんだけど pic.twitter.com/GxgYIcHsYw
当日のツイートもなかなかにメンタルがダメージを受けている
一年前に金がもらえるからという理由で留学を決心したのは間違いだったのだろうか。
このままだと秋の中国留学も無理そうだな、いや、日本でできる学習機関が増えたと喜べばいいじゃないかええじゃないか、
いや、やっぱ無理普通につらい
留学を志した当時はまさかホームレスになるなんて思いもしなかったじゃないか、
一寸先は闇、とはまさにこのことだ。
感染症の流行によるものだと頭でわかっていても、この一年間は留学を前提として計画を立ててきたのだから予定はめちゃくちゃ狂う。
予定は未定、を体感しちゃってるな自分
中国人の友達と韓国の留学先で遊ぼうって約束してたのになあ
ヒステリー激しい上司のいるバイト先でも頑張れたのになあ
その日はちょうど友人と遊ぶ約束をしていたので、その友人の家に行っていい焼酎を飲んで、レンタルビデオで借りてきた映画を友人の画面が壊れかけているパソコンで見た。
その友人に留学中止の話をすると、
下宿決まる居候させてくれることになった。
ありがたやありがたや 感謝感激雨あられ
そんなわけでしばらく帰省してからまた京都で下宿を探す日々が始まった。
条件は大学から近い、風呂トイレ別、駐輪所に屋根がある、洗濯機が中における
とにかくは家賃が安いところ、で探した。
今住んでいる下宿はその条件をだいたいクリアしている
知り合いには条件が良すぎて事故物件なのではないかと心配されるレベルだ。
今のところ何ら不自由なく暮らせているので大丈夫大丈夫
なんかあったらネタにしよ精神で生きていこ
下宿が見つかるまで居候させていただいた友人はちょっと変な人でラブホテルについてのブログを書き始めたり、夜中に無意識のうちに何かを求めてわたしに抱きついてきたりとなんだかよくわからない人だった。
そういえばこの人は、「初対面の時に顔面偏差値立命館ですね!」
という褒め言葉なのかけなし言葉なのかなんとも判断しづらいことを言ってきたのだった
初対面の人間相手にこんなことをいうやつはやばいたぶん、絶対に
そのやばいやつとの同居生活は結論から言うとめちゃくちゃ楽しかった。
一緒に銭湯の帰り、まだ寒い春の夜の下で冷たいコーヒー牛乳を飲んだり、
王将で餃子を食べたり、
人生観について語ったりもした。
いや、こうゆうこと彼氏と一緒にしたいよねええなんて言って笑ったりもした。
これ以外にもなんだかいろいろあったような気がする
彼女はとてもパワフルな人で、なにかしらの物事に追われる身だった。
そのクセ自己肯定感が絶望的に低い
寂しがり屋でクセの強いめんどくさい愛されるべき人だった
器用なのに不器用とはまさにこういう人のことを言うんだろうなあと面白がって近づいたが最後、離れられなくなるような魅力を持っている人だった
もうちょっとであれから一か月余りの時間が過ぎようとしている
はやいもんだなあ
あれからもまだコロナウィルスの影響を日々受けている
巷ではコロナに対する怨嗟を吐き続け、挙句の果てには感染者やその家族にまで誹謗中傷する人もいる
ウィルスに八つ当たりしても反応がない分つまらない、ならば生身の人間のほうが面白い
自粛を守らず感染した人は悪だ!
と自分の中で正義の建前をかすことの醜さよ
わたしは疲れた、引っ越し代も下宿探しにかかった時間はウィルスへの怨嗟を吐いて埋められるものではない。
人間は人それぞれ矜持、つまりは誇りを持っているものだ。
ないものばかりを考えている時間や人のあら捜しをしていてはまして失われたものが返ってくることなどないだろう。
普段はしない料理に挑戦してみたり、映画をじっくり見たり、読書をしたり、こんな機会だしあまり連絡を取り合っていなかったかつての友人たちに近況を訪ねてみるのもいいかもしれない。
久しぶりに外に出て思うのは、わたしが何を思おうが絶望しようが、感動しようが、木々や花々はわたしのことなんかにかまわずそこにいて、勝手に咲いたり散ったりを生意気なことに繰り返したりしているのだ。
こんな時にも美しいじゃないか、ええ?
いつもすっぴんでアマプラを観て本を読んでいる私とは大違いである。
もっと身の回りのことをきちんとできる人間に、気持ちを上手にコントロールできる人間にならないとなあと日々反省である。
それではみなさんごきげんよう