徒然ふぁいたー

立命館キャンパスアジアとか私事とかいろいろ

脱線(キャンパスアジアプログラムとは無関係)

皆さん、こんにちは。この記事を開いてくださりまことに感謝します

昨日の記事を読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。

100pvを突破することができました

ひとえに皆さんのおかげです

生きててよかったと心の底から思いました

汚いですが、うれしくて鼻水垂れ流して泣いてます

 

今日はさっそく脱線します

*おいおい、キャンパスアジアプログラムはどこいったんだ、

てめぇ、いきなり調子こいてんじゃねぇぞ、

腐った卵と牛乳で煮込んだぞうきん丸めて投げつけてやる

と思われた方も読んでいただけたら幸いです

 

私の大学受験浪人時代を通して気づいたことがあるので、

それについて書きます

*キャンパスアジアプログラムに興味をもってこの記事を開いてくださった、大変申し訳ありません。この先は私個人の経験談で、キャンパスアジアプログラムとは何の関係もない内容になります。

 

私はある東京都立高校を2018年の3月に卒業しました

(このブログでは偏差値どうこう、大学のランクがどうこうのといったことには

一切触れるつもりはありません)

 

第一志望の国公立大学の受験で失敗し、私立のすべり止め(実は去年も立命館の文学部日本文学研究学域受かってました)の入学金を払っていなかったので大学浪人が決定しました

 

ここで母が思いもかけないことを口にします

 

「お母さん、屋久島で働きたいから、浪人は九州にある北九州予備校の寮で頑張ってね」

 

 

え、ちょ、ま、え、、、

 

私は母の言ったことが一言も理解できませんでした

 

屋久島って、鉄砲とかロケットの打ち上げで有名な種子島の隣にあるやつだよな、、、

 

寮とか、協調性の欠落した私が集団生活とか、まじ卍

 

てか、北九州予備校って何?

 

 

九州出身の方にはご存知の方も多いと思いますが

厳しいということで有名な、あの泣く子も黙り、小倉のヤ〇ザ(冗談ね、)も近づかないといわれる北九州予備校です。

 

しかもその寮といえば、ネットで検索をかければ監獄という言葉が確実にヒットします

 

私は三畳、風呂トイレ冷蔵庫共同の女子寮で一年間を送りました

 

長くなるので省いて浪人の結果を述べます

 

私の努力不足で、またも第一志望の国立大学には合格することはできませんでした

 

*もちろん、北予備や寮からも多くの方が第一志望の難関大学に合格されていました。これはあくまで私個人の経験です、予備校の優秀な講師の先生方、親身になって接してくださる寮長寮母さん、なんでこの仕事をしているのか失礼だけど正直不思議に思うくらい優秀なチューターの方々には添削指導や進路相談など本当にお世話になりました

今でもとても感謝しています

 

当たり前ですが、結果は私個人の自己責任でしかないです

 

ぶっちゃけ、

第一志望の不合格を知ったときは自分には生きている価値がない、

私は一生〇〇大学の人たちにはかなわないんだ、

人生積んだ、

と思いました

 

泣いたでしょ、とよく知り合いに聞かれるのですが、

最初は泣くことすらできませんでした

 

私は1年間と親が汗水たらして必死にかき集めてきてくれたお金、そして応援してくれた方々の気持ちのすべてを無駄にした

 

歩く人糞製造機で、動かない生ごみのほうがマシだ、

とマジで思っていました

 

それから10日ぐらい記憶がないです

 

ある日ネットサーフィンで、ツイッター

#春から〇〇大学

 

で、自分が行きたかった大学の名前を検索していました

 

なんでそんなことをしていたのか今でもうまく説明できませんが、

自分の不合格を認めたくなかったのかもしれません

 

そこで、たまたま浪人にしくじり第一志望の大学に合格できなかった人の

ブログの記事を見つけました

 

意識高い系中島というツイッターbotの方が書いた記事です

 

文章構成能力にとても優れた方がお書きになった記事なので、

私がうまく説明することはできませんが

 

知恵袋やツイッターでよく見かける

 

〇〇大学以下なら人外

浪人して失敗とかカスwww

ま、あれもいい経験になったわw

人間として成長したしいいんじゃんw

 

のようなものや、自分の失敗談を書きただ人の同情を引こうとするもの(とてもじゃないですが、私はいい経験になっただなんて言えません)とは違い

 

浪人を経験したものにしか理解することのできない苦しみや、その経験から自分が考えたことについて優しい目線から書かれたものでした

 

 

私はこの記事を読んだ時に初めて涙を流すことができました

 

あの時ほど人の言葉が人に与える影響を感じたことは今までになかったです

 

この経験が自分がそれまで作り上げた学歴コンプレックスに向き合うきっかけとなりました

*正直、私の中に学歴コンプはまだあります。〇〇大学に落ちたときの自分という存在への絶望もよく覚えています。多分、一生忘れることはありません。

 

私はそれまで、自分という人間の価値を学歴で証明しようとしていました

 

あの大学に行けばモテる、いい会社に就職できると心の底から信じていました

 

ですが、人の価値をはかるものさしは、決して学歴だけではないです

もちろん学歴も、ものさしとして有効ですし、大きな要素だと思います

 

だけど、私は学歴以外のものさしも大切にしていきたいと思っています

 

*所詮、大学受験という競争に敗れた人間の負け惜しみでしかないかもしれない、

でもそれでもいいじゃないか、と最近いろいろな方に出会って思いました

 

それで私が楽に生きられるならいいじゃないですか、別に高学歴の方がどうのこうのとかどうでもいい、

 

だって、私は私なんだから、私を少しくらいえこひいきしたってバチは当たらねぇだろ、

 

とだんだん開き直ってきました

 

高学歴であることはとても素晴らしいことだと思います

でも、学歴という一つのものさしに縛られて、苦しんでいる人もいると思います

 

そんな人には自分自身を自分自身で心の底から褒めてほしいです

*日本語おかしいですが、こうとしか書けません

 

バチは当たりません、大丈夫です。

 

学歴のものさしに無理してしがみつく必要なんてないんですよ、あなたにはあなたの知らない可能性があります

 

もちろん、自分からなにか動いてみなければそれに気づくことは絶対にないです

 

失敗したっていい、笑われたっていい、

 

何かに挑戦することは結果どうこう以前に本当に素敵なことなんです

 

なにもせず、失敗を恐れて何もしなかった自分を死ぬまで覚えているのはあなた自身です

 

失敗を笑う人はあなたが失敗したそのときしかあなたのことを考えてません

 

ぶっちゃけ、みんなあなたのことを四六時中考えるほどヒマじゃねぇです

 

笑われるのはその場限りです

 

そんなことを恐れて、なにもせずに自分の時間を空費すること以上に恐ろしいことなんてないです

 

だからさ、なんか挑戦してみようぜ、絶対楽しいから

 

長くなりました。ここまでよんでくださったあなたに感謝します

 

では、また